プロフィール

 

はじめまして。

 

ブログの管理人の「まつ」と申します。

 

この度は当ブログにお越しいただきましてありがとうございます。

 

私はせどり物販でも『人の心理』を基軸にした独自のやり方で、月に3万円の仕入れで10万円以上の利益をたたき出す超高利益せどりを実現しています。(月に30万円も仕入れすると100万円くらい利益出てしまいます)

※コンサル生さんは、月に19万円の仕入れで月利110万円の人もいます(←完全に追い抜かれています(^^;)

 

商品の平均仕入れ単価はわずか400円~500円台。(実際に会うまで信じてもらえませんが事実です)

 

利益率は50%から60%台で推移しています。

 

コンサル生さんは181人(2023年11月現在)です。

 

※これら実績は決して自慢するつもりもなく、「せどりって正しくやれば本当に素晴らしいビジネスなんですよ」ってことを伝えたくて事実を書いています。

 

※あと、利益率50%台と言えば仕入れ値の同額が利益と勘違いしている人が多すぎます。リアルな利益率50%台は仕入れ値の約2.5倍が利益。仕入れ1000円なら利益は約2500円。

 

 

あまりに圧倒的な結果を出し続けているので最初はコンサル生さんにすら信じてもらえないくらいですが、このブログはそれ以上でも以下でもない全てリアルを書いていますので、現在せどりをやっているけどお金が残らない人や、これからせどりを始たいけどどのように始めればいいかわからない人など、『せどり迷子の駆け込み寺』的な存在でありたいと思っています。

 

ここでは、プロフィールというか、私の人生そのものを赤裸々に書いていますので、長文になりますが、世の中こんな人間もいるんだって感じで読んでみてください。

 


 

私の人生は社会の一般的な視点から見ると、進むべきレールから完全に脱線した道を歩んできました。

 

幸い前科はありませんが、それはただ運よく見つからなかっただけで、本当なら何度も留置所行きになっていても全く不思議でなく、逆にそうなってないことが不思議なくらいです^^;

 

まず、小学校入学と同時に、なぜか隣の席の子の腕を鉛筆でツンツン突く遊びを覚え、即行で親が学校に呼びだされるという小学校デビューでした。

 

ここでいきなり脱線していますね。

 

自分の中ではただの遊びのつもりだったので、呼び出された親が泣いている姿を見てすごく驚いたことを今でもはっきり覚えています。

 

次の日、学校に行ってその子の腕を見たら、鉛筆の芯の黒い跡が付いているのを見て、人を傷つけてしまってたことにようやく気付いたくらいの超鈍感のどアホとしか言えない子供でした。

 

今振り返ると、その子と親御さんに本当に申し訳ないです。

 

その後、小学3年生の時から地域のスポーツ少年団でソフトボールを始めることになり、自分で言うのもあれですが4年生の時には最上級生の6年生チームで主力として活躍させてもらっていました。

 

この時は、チームの監督やコーチからも、「こんな子供は今まで見たことがない」「この子は将来必ずプロで活躍する」などと、今聞くと恥ずかしくなるようなことを周りから言われていました。

 

学校生活のほうも、生徒会長になりその後の希望に満ちた中学生活へと進んでいきます。

 

今振り返ると、この世に生を受け、この時期が私の人生の頂点のような時期でした。

 

 

その後、中学生になっても相変わらず野球に打ち込む日々で勉強の方はかなり疎かになっていましたが、なぜか成績はさほど悪くはなく、そのまま野球推薦で多分みなさんも必ず一度は聞いたことのある強豪校へ進学しました。

 

しかし、ここがふたつ目の致命的な脱線になります。

 

入学して3日目に、指導者による恐ろしいほどの暴力現場を見てしまい、その後教育係の先輩からの壮絶なイジメが始まったんです。

 

当時の自分は、嫌なことからはすぐに逃げて楽しいことをしたいというド底辺人間でしたので、その後わずか数か月で野球部を辞めてしまいます。

 

そしてついでに学校も辞めるつもりでいましたが、そこは当時の担任の説得もあってとりあえす学校には残ることにしました。

 

でも、本当に「とりあえず」残ってしまったため、自分の中に目的や目標というものが全くない状態です。

 

日々勉強をするわけでもなく、マジメに授業に出るわけでもなく、何をしに学校に行ってたのか今思い出してもわかりません^^;

 

そんな生活を続けていると、ご想像どおり悪い仲間たちが近寄ってきます。

 

残り(といってもほとんど)の高校生活は、その連中と深夜まで遊びまわったり、たばこ・飲酒・博打・恐喝・窃盗・喧嘩をくりかえしたりと犯罪者生活を続けていました。

 

この時は、将来ぜったいに裏社会の人間になるんだって思っていたくらいです。

 

そんなこんなであっというまに高校卒業を迎え、就職するでもなくフラフラとその日したいことをして遊んでるニート状態を続けていましたが、ある時急に就職しようと思い立って、地元では結構有名な企業に飛び込みに近い形で面接に行きました。(本当に世間知らずですよね)

 

でも、その結果がまさかの採用で、嘘みたいな本当の話なんですけどその後3年間お世話になることになりました。

 

この会社での3年間は本当に楽しく仕事をさせてもらって、給料は高くないけどいい会社に出会えたと思っていたんですが、バブル崩壊の影響で実家がやっている建設業が傾いてきたので、そちらを手伝うために急きょ退職することになってしまいました。

 

退職後は、まったく知らない世界の建設ですが、とにかく建設関係の会社にアポを入れまくり下請けでもなんでもいいので仕事をもらうために相談に行きまくりました。

 

建設系の業界は、結構人情味のある社長が多く、お会いしていただいた中で半数くらいの人は「仕事があれば振ってあげるよ」とのお言葉をいただき、実際に何社かは仕事をもらえて、その後家業はなんとか復活することができました。

 

私はそれから6年間家業を手伝い続けたんですが、途中でかなりひどい腰と首の怪我があり、これは歳を取るまで続けられる仕事ではないと判断し、別の仕事を一からやりなおす決心をします。

 

当時は結婚もして子供も小さかったのでかなり不安はあったんですが、それ以上に自分の体で今後も養っていく方が不安でしたので、思い切って決断しました。

 

 

この時29歳。

 

  • 最初に就職した会社では、主に機械相手の仕事
  • 次の家業では木材相手の仕事

 

そう、私はこの10年近く、人とのコミュニケーションらしいことはほとんどない日々を送ってきました。

 

だから、自分には他の人に比べてコミュニケーション能力がかなり欠陥しているはずと思い、そこを克服するために営業職を探しました。

 

営業職と言っても、完全未経験のほぼ三十路の人間ですからなかなかアテがありません。

 

当時唯一見つけれたのが、子供用の教材販売のフルコミッションに近い会社です。

 

その求人を見つけた時、自分には経験も知識も無いので勉強のためにやってみようと思い、採用してもらいました。

 

入社してからわかったんですが、ここは超のうえにもうひとつ超が付いていいブラック企業でした。

 

毎日出社は8時30分ですが、それは表面上だけ。

 

営業は週ごとに営業地域が決まっており、それが近所のケースはまずなくて、車で2時間半とかの地域に朝の8時半には到着しているのがあたりまえ。

 

そこから夕方までびっしり飛び込み営業をし、夕方には小学校前で下校中の子供たちにビラ配り。

 

それが終わると、夜中までまたまた飛び込み営業。

 

この会社で営業している時に、警察に3回通報されました(>_<)

 

 

夜の10時を過ぎても上司に「もう1件行け!」と言われたり・・・

 

訪問先では、罵声を浴びて包丁を持ち出されたり塩をまかれたりと、かなりのひどい仕打ちに遭いました・・・。

 

そりゃそうですよね。

 

そんな感じでボロボロになった状態で、また2時間半かけて帰社。

 

事務処理を終えると、もうすでに午前3時前です。

 

この平均睡眠時間2時間未満の生活を半年間続けたら、さすがに人格が崩壊してしまい会社を辞めました。

 

社畜ってこのことを言うんですね。

 

でも、この時の営業成績が新人の全国トップクラスだったことを上司から聞いたのが唯一の救いで、次の仕事も営業の世界に行く決心ができました。

 

 

次の仕事は、N○Tの代理店営業です。

 

ここでは以前の会社のような社畜扱いはなく、9時出社の20時帰宅が続く毎日でした。

 

しかも完全週休二日です。

 

私にとっては最高の環境に思えたので、もうここでは狂ったように仕事をしました。

 

門前払いを含めると、1日あたり100件近く飛び込み営業をしていたと思います。

 

他の営業マンが、どこに行ってもすでに私が訪問しているところばかりで、私と同じ地域を回りたくないと上司に直訴してたことを思い出します^^;

 

その訪問数に比例してか、ここでは常に営業成績がダントツで1位をキープし続け、最終的にはN○Tの本体を含めても1位の獲得数を得ていたと当時の所長からは聞きました。

 

ここで完全に自信をつけはじめていた私に、同僚からある提案が来ます。

 

「一緒に起業しないか?」と。

 

その彼も別部門でトップの営業成績を出している人でした。

 

最初は乗り気ではなかったんですが、彼はかなり熱心で、彼の奥さんも含めてご飯に行き、そこでもかなりアプローチされて、自分でもまあ「2人で組んだら仕事を取ることには不安はないな」と思い、ついに起業を決断しました。

 

こんな感じで気付いたら自分も小さな会社の社長となっていたんですね。。

 

会社を始めた当初は、お金も人脈も経験もありませんでしたので、毎日毎日朝から晩まで飛び込み営業ばかりやっていました。

 

当時のガムシャラさは今振り返ってもよくあそこまでやれたなと思うくらいです。

 

そんな感じで前だけを向いてとにかく突き進んでいく中、こんな自分でも相手にしてくれるお店や企業様があり、日々の努力のおかげか少しずつお客様も増えていき、同時に社員も増えていき、徐々に軌道に乗り始めて気づけば10年以上の年月が経っていました。

 

もちろん、その10年の間には良いときも悪いときもありましたが、自分の中ではなんの才能もない人間が起業して、10年以上も会社を存続させれたことに少し自信を持ち始めていたのですが・・・・

 

 

その後、大事件が起こります!

 

結論から言いますと、一緒に会社を立ち上げたパートナーに裏切られて、私が会社を去ることになってしまったんです。

 

今まで10年以上汗水たらして築き上げてきたものが、わずか1日にして崩れていましました。

 

この時は、本当に奈落の底に落ちるという言葉を身をもって経験した気持ちでした。

 

でも、今振り返ると起業してから会社を去ることになるまでの間に、いくつか伏線があったのも事実なんです。

 

まず、最初に会社を立ち上げるときに少し借り入れをして起業したのですが、その際に、なんとパートナーは融資を受けられない状態で、代わりに私一人の保証で融資を受けました。

 

その時に、一緒に起業するのはやめようかと思いましたが、彼の奥さんもいい人で当時は私が困っていたら助けてもらったりしたこともあって、信じて一緒に会社を始めることにしました。(のちに判明しますが、奥さんと思っていた人は内縁の妻でした。もうなにもかも騙されていたんですね)

 

その後も事業をしていくにあたって何度か融資を受けたことがありましたが、その時は奥さん(と思っていた人)にも保証人になってもらって融資を受けました。

 

この記事を読んでいる方はもうこの時点でちょっとおかしいとお思いでしょうが、その時の私の心の中はとにかく会社の売り上げのことばかりを気にする日々でしたので、だれが保証人になろうが会社がうまく回っていけばいいという、経営者としては最悪な考えでおりました。

 

そして、その後も日々の営業を頑張りお客様の数も増えていき、借金の返済もきちんとしていき会社は何の問題もなく回っていました。

 

もちろん、大切な社員の給料も一度も遅れたことはありません。

 

私は、毎日会社に出勤してから準備をしてすぐに営業のために外出していたので、そのパートナーとも毎日毎日顔を合わすことはなく、正直彼が日中どのような行動をしているのかよく知りませんでした。

 

それでもパートナーはたまに売上を持って帰っていたので、ある程度仕事はしていたんだと思います。

 

そんな彼からひとつだけ夢を語るように聞いていたのが、お客さんから太陽光発電の案件を貰えそうなので、これに集中してどうにか形にして会社に貢献したいとのこと。

 

それを聞いた私は一生懸命やってくれている姿と会社の売上アップに貢献してもらえる期待から、何とか頑張って形にしてほしいと返事をしていました。

 

その後、かなりの時間はかかりましたが、彼はなんとか太陽光発電の案件をもらうことができ、短期間で大きな収益を生む事業にしていったようです・・・

 

 

「していったようです」

 

なんて、まるで他人事のような書き方をしましたが、そのとおり他人事なんです。

 

パートナーである彼は、なんと一緒にやっている会社と別の場所で太陽光の事業を始めたのです!!!

 

 

 

あれはよく晴れた日の朝のことでした。

 

知り合いの調査会社の担当から連絡が入り、「パートナーの人が新しく会社をつくってますよ」と言われました。

 

それを聞いた私はまさに寝耳に水で、すぐにパートナーに連絡を取り事実関係を確認しました。

 

すると会社を興したのは事実だと・・

 

やはり彼は太陽光発電の事業を独り占めしていたのです。

 

彼が太陽光発電の仕事をとるまでの間、日々の会社の売上に貢献できないから私に頼むと言っておいて、いざ仕事を取れると手のひらを返してきたんです。

 

他人のふんどしで勝負をしてきて、その上で獲得した事業を独り占めしている彼の姿は、正直人間とは思えませんでした。

 

どうやら、その事業は予想どおりのすさまじい売上をもたらすようで、彼は金に目がくらんですべてを自分のものにしてしまうという悪魔のような考え方になってしまい、もう一緒に仕事をしていけるような状況ではありませんでした。

 

 

彼は急に高級外車に乗り始めました。

そして、家を新築しました。

ついでに、自分の太陽光発電も持ちました。

最終的に、アパート経営も2棟はじめました。

 

これ、私が会社を去ってわずか2年ほどの間の出来事です。

 

言い方は古いかもしれませんが、まさに「成金」ですよね^^;

(物欲のあまりない私には興味ありませんが・・・)

 

 

 

まあ、こうなったのも私自身にものすごく責任はあります。

 

というか、この記事を読まれた人は、そもそも私には会社を運営する能力すらないんじゃないの?と思われてもしかたがないかもしれません。

 

なぜなら、最初に彼がどういう人間か見抜けていなかったこと。

 

一緒に仕事をしているときも、目的は同じでも(実際には目的も違ってましたが)彼は彼、自分は自分というスタンスで仕事をしていたこと。

 

そして、なによりもコミュニケーションが不足していたこと。

 

そうです、たしかにそのとおりです。

 

太陽光発電のお話が出てくるまでは、お互い励まし合いながら一緒に頑張っていたんですけどね・・・

 

でも、全ては私の能力不足。

 

それまでの私の人生は、結局誰かの胸三寸で左右されるような人生だったんです。

 

いっちょ前に会社を経営していますなんて思っていましたが、結局は誰かの考え方ひとつで人生のすべてが影響されてしまう社会の中の一労働者でしかなかったんです。

 

 

 

 

もうこんな生き方やめにしたい・・・

 

 

その後、かなりの長期間立ち直ることができませんでした。

 

毎日毎日意味もないのに涙が溢れ出してきて、本当に気力もなにもかも消え失せた状態が続きました。

 

家族がいるのに、仕事をしないといけないのに心と体がまったく動きませんでした。

 

もう完全な鬱状態です。

 

でも、その時強く思ったんです。

 

「もうこんなふうに人に左右される人生やめにしたい」と。

 

これからは、自分の人生を自分で決めれる世界で生きていこうと本気で思いました。

 

30歳で起業したときの情熱よりも、10000倍以上の強い思いです。

 

そして、誰にも影響されることもなく、ただ自分の思いどおりに、そして私のせいで悲しい思いをさせている家族と一緒に過ごせる時間を確保できる仕事がないか真剣に考え探しました。

 

来る日も来る日も考えて、ついに自分の考える条件をすべてクリアできる仕事を発見することができました。

 

それが『せどり物販』です。

 

せどり物販なら、誰かに左右されることなく自分一人でできますし、場所も時間も制限されるようなことはありません。

 

また、初期費用をほとんど掛けることなくできるのも大きな利点でした。

 

そんな流れで、せどり物販は誰でも比較的簡単にでき、結果もすぐに出ると聞いて始めてみたんですが、実際にやってみると仕入れる商品が見つからなくて本当に困りました。

 

いろんなお店をまわりましたが、仕入できるものはどこにも見当たらないく何をしているかわからないような状態でした。

 

始めたころは本当に営業より難しいと思っていました。

 

でも、いつまでもこんな状況ではマズいので、思い切ってせどりを知るきっかけになった人のコンサルを受けることにしたんです。

 

そうすると、今までの仕入れに苦労していたのがウソのようにたくさんの商品を仕入できるようになりました。

 

それも、始めはだだ単にお店のまわり方をレクチャーしてもらっただけです。

 

 

まず初月の月商が60万円。

2か月目が110万円。

3ヶ月目が140万円。

その年の12月は300万円弱と順調に売り上げもあがり、なんとか家族を養うことができていましたが、その後人生の窮地に陥ります。

 

この窮地は、私が本当に死を決断したほどの窮地です。

 

その原因は、ご興味があればこちらをご覧ください^^;

せどりの赤字で破産寸前だった私が大逆転した方法を全て公開します!
お金を稼ぐために始めたせどりによって赤字を出し、大借金で破産寸前まで行った私が、わずかな期間で大逆転できた方法を赤裸々に公開します。 正直、私にとってはめちゃくちゃ恥ずかしい話しになりますが、「人間必死でやれば、どんな状況でも何とかなるんだ

 

 

 

以上、振り返ると小学生時代から現在まで本当に様々なことがありました。

 

日本のサラリーマン育成教育から脱線していなければ、こんな余計な苦労はしなくて良かったのかもしれませんが・・・。

 

でも、いろんな人にご迷惑をかけ、その因果応報かわかりませんが人に裏切られ紆余曲折ありましたが、もう40台にまでなった人間でもどん底から這い上がらせることができる事実を知っていただきたくてこのブログを始めました。

 

おそらく数あるネットビジネスの中で、せどり物販に勝るものはないでしょう。

 

しかも、せどり物販の基本は安く仕入れて高く売るというシンプルな構造なので、仕組みさえ覚えれば小学生でもサラリーマンの給料以上に稼ぐこともできると思います。

 

もしも、今あなたが毎月の給料だけではちょっと不満があったり、将来やりたいことがあってお金を増やしておきたいと思っていたら、残業を増やしたり掛け持ちバイトなどに出るのはやめて、ぜひともせどり物販をやってみてください。

 

もちろんこのブログを参考にしてやってもらって結構です。

 

出し惜しみはしませんので!

 

せどり物販は、毎月の収入を10万円増やすくらいなら本当にびっくりするくらい簡単にできます。

 

いまの収入にプラスして「はい!あと10万円どうぞ♪」ってなったら、生活が大きく変わりませんか?

 

10万円で足りないという人は、20万、30万にすることもぜんぜん可能です。

 

これからの世の中、今以上にますます世知辛くなっていくことは目に見えています。

 

そして、これは多くの有識者の方々も言っていますが、あなたの労働力も5年後10年後には必要とされているかどうかわからない世の中になっていきます。

 

そうなってしまってからはもう遅いですよね。

 

あなたも「誰かに左右されるだけの道」を歩むのはやめて、誰にも影響されないあなた自身が決めれる自由な世界に進む準備を一緒にはじめませんか。

 

実は、私は今の手法を確立する前にせどりコンサルを行ったことがあります。

 

当時コンサルした人数は、たったの6名。

※今やっている中古せどりコンサルは既に180人を超えています。

 

でも、当時の人数は少なかったですが、6名全員が3か月以内に100万円以上の月商をたたき出すことに成功しました。

 

コンサルする側というのは、その人が月商1,000万せどらーであろうが、200万や100万くらいのせどらーであろうが、それはあまり関係ないです。

 

いろんなスポーツの指導者でも、たとえその人が金メダリストだからってすごい指導者とは限りませんよね?

 

指導者というのは、ご自身が控え選手レベルだったとしても、金メダリストを多数輩出する敏腕指導者なんてことは多々ありますし、一般的にその傾向のほうが強いと思います。

 

私も月商1,000万なんて売った経験はないです。

 

でも、売上だけを上げるのは正直素人でも簡単にできます。

 

大事なのはその中の利益がいくらあるのかということです。

 

なぜなら、私たちは利益を得るためにせどり物販をしているのですから。

 

この私の考え方に共感いただけるなら、きっと私はあなたの支えになることができるでしょう。

 

長文のうえにかなりの乱文なのに、ここまでお読みいただいたあなたはビジネスでも成功できる能力をお持ちです。

 

このブログでは、あなたの収入が最低10万円以上(本音は20万円以上)アップすることができるように頑張って書いていきます。

 

それでは、私の日々の発信をぜひ参考にしてください(^^)

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