突然ですが、あなたは今幸せですか?
幸せだという人は、その幸せをどんな時に感じますか?
幸せを感じる時は、その幸せを自分以外の誰かと共有できる時ではないですか?
普段の小さな幸せでも、身近で大切な存在の人がいてくれるからこそ感じれるものではないですか?
反対に、あなたは今不幸だと思いますか?
不幸だという人は、どんな時に不幸だと感じますか?
不幸だと感じる時は、その不幸を自分以外の誰かと比べている時ではないですか?
不幸だと感じるのは、自分以外の人と比べてしまうから不幸だと感じているのではないですか?
幸せや不幸というものは、必ず自分以外の誰かと関係しているから感じるものです。
仮に、この地球上にあなたしか存在していないとすれば・・・
あなたは幸せも不幸も感じず、ただひたすら日々を生きていくだけだけになります。
なぜなら比較する対象が存在しないので。
幸せとも不幸とも感じず黙々とひたすら生きていく・・・
本来これこそ自然な姿なのかもしれません。
しかし、幸か不幸か私たちは何十億という人間が住む地球で生活をしています。
そこには、比べてたくなくても比べてしまう現実があります。
そしてこのあふれるほどの「人」対「人」の関係を保つため、人間は遥か古来に「貨幣」というツールを発明しました。
その貨幣は現代社会でもあらゆる取引のために必要なツールとして利用されています。
そして、幸せと不幸を考えた時、そこにも必ず貨幣(お金)が絡んでいます。
「日々の小さな幸せなんて、お金なんて1円も絡んでないよ!」と思われる方もいらっしゃると思いますが、実は潜在的にお金は絡んでいるのです。
例えば、もしもあなたが職を失い、今日明日の生活に困窮している状況なら、道端に咲いている一凛の花を見て、立ち止まって「キレイだ」と笑顔になれる余裕があるでしょうか?
また、あなたが何年も安定した生活が続き家庭環境も良好な状況にある最中、ある日突然あなたの力ではどうしようもない不可抗力で職を失うようなことをリアルに想像できるでしょうか?
私はこのどちらも経験しています。
だからはっきり断言できます。
『人の幸せ不幸せの根底には潜在的にお金が絡んでいる』
と。
日本の教育は、優秀なサラリーマンを育成するための教育です。
小さな子供の頃から全員「右へならえ」の教育で、その路線から少しでも外れるようなことをした子は、例えそれが正しいことでも決して称賛されることはなく懲罰を受けるシステムになっています。
数年前にテレビで流れていましたが、ある小学生の子が算数のテストで『答えを導くための計算式を書きなさい』という問題に、学校ではまだ教えてない掛け算を使って回答したところ、正解しているのに不正解の扱いを受けたというニュースがありました。
その子は、家か塾での自主学習でみんなより少し早く掛け算を自分のものにしていたんでしょうね。
このニュースを聞いたときに、「日本はやはり先進国ではない」と強烈に感じたことを覚えています。
日本国憲法の法の下の平等を履き違えてるのではないかと思うほど、すごくドロドロした黒い世界に小さな子供たちが巻き込まれているような気がしました。
日本は歴史ある文化と近代的で最先端な部分が融合した国です。
だから外国人にもすごく人気があります。
でも、それはあくまでも物質的な部分の話であり、精神的な部分はまだまだ未発展なところもあるのではないかと思います。(民度の意味ではありません)
その未発展な部分をなかなか改善できない原因が、上述した「右へならえ」の教育ではないでしょうか?
この教育方針で育った人は、まわりの人と違うということがおかしいと感じてしまいますので、まわりの質が高くなればそれに引きつられてその人の質も高くなっていく利点はあります。
学校で「落ちこぼれ」という言葉を聞かなくなってきたのと同じように、社会でも同じように落ちこぼれを作りにくい教育ではあります。
「日本人はみんな親切だ」
「日本人はみんな勤勉だ」
「日本人はゴミをポイ捨てしない」
海外の人たちから見るととても素晴らしいですよね。
あくまでも表面的には・・・。
そう、表面的なんです。
これを書くとかなり反感を買うと思いますが、私たち日本人は子供の頃からの教育で他の人と同じであるべきという一種の洗脳のような教育を受けていますので、いくら本心でなくても『表面的には優しく繕い』『本当は嫌だけど会社のために休まず働き』『人の目があるからゴミも捨てない』という人種になっているんです。
もちろん人の目があろうがなかろうが、自ら努めてそのようにしている方のほうが圧倒的に多く存在します。
しかし、その反対の人が存在するのも事実です。
私たち日本人は、生まれながらに小学1年生から中学3年生までという人格形成に非常に大きな時期になる9年間の義務教育が課せられています。
日本の教育は「ある一定レベルの人」を形成する教育としては本当に世界最高峰だと思います。
こんなにすごい国は世界を見渡してもあまり存在しません。
でも、私はその素晴らしい教育から途中脱線してしまった一人です。
私のプロフィールをお読みいただいた方はご存知だと思いますが、私は皆さんのようにまともに勉強をしてこなかった人間ですので、偉そうに日本の教育を語る資格などありません。
しかし、そんな勉強すらまともにしてこなかった人間にさえ「間違った教育をしてるんじゃないの?」と思わせるような日本の教育方針に、なぜみんながしがみついていっているのかが不思議に思えます。
これもやは『右へならえ教育』の流れで、どんなに理不尽でもレールを外れると良くない未来が待っているというイメージが知らず知らずのうちに植え付けられているんでしょうね。
(悲しいかなそれは家庭内でも・・)
私は高校入学後数カ月で、自分の人生の全てという気持ちでやっていた野球を辞めました。
当時のチームメイトからみると、「あいつは楽なほうに逃げた」と思うでしょうが、事実なのでそう思われても仕方ありません。
しかし、いくら楽なほうに逃げたと言っても、当時人生のすべてを掛けていた野球を辞めるにあたって、かなり考え抜いて決断したのも事実です。
中学時代の先生にも相談しましたし、仲間にも相談しました。
小学校時代の指導者にも相談しました。
でも、みんな共通して同じことを言われていました。
「強豪校なんだから殴られるのやイジメられるのはあたりまえ!」
「そこを耐え抜いたらきっと未来が変わる」と・・・
その時、まだ世の中の右も左もわからない私でしたが、今まで自分が歩んできた道が全否定されたような感覚を覚えました。
野球というスポーツは、強豪校なら指導者や先輩から理不尽に殴られるのが普通なのか?
もしかすると、野球部に限らず高校自体がこのような風習なのか?
私はバカすぎて、いままでお世話になった大人たちが助言してくれていることの意味が本当にわかりませんでした。
だから生徒手帳を隅から隅まで読み込みました。
そこには、(生徒である)「あなたの服装」「あなたの日々の過ごし方」「あなたがやってはいけないこと」「あなたがやるべきこと」「守らなければ排除する」という内容まで細かく書かれていました。
その時、まだ子供だった私は「自分はまるで奴隷のようだ」と強烈に感じました。
中学校では人権というものを習ったし、先生も「人は自由であるべき」と言ってたのに、高校に入学するとそれまでの価値観が180度覆された感覚に陥りました。
私は、ここで「誰を」「何を」信じればいいのかわからなって路頭に迷ってしまいます。
思い返せば、当時の野球部のコーチも、部に所属している時は校内で会うたびに声を掛けてきていましたが、退部後は一度も会話した記憶もありません。
私は野球部を辞めてレールを脱線した落ちこぼれかもしれませんが、学校の生徒のひとりであるということには変わりなかったんですけどね。
他の人と違う行動やレールを外れるようなことをすると、教師と呼ばれる人の態度もここまで変わるんだと恐怖すら覚えましたよ。
本当に心から思いますが、日本の教育って個性を伸ばすことなど二の次で、国の都合のいいように同じような人種をいかに作り上げて社会に送り出すかを重視した教育だと思います。
まあ、そもそも国を動かす官僚の人たち自身がその洗脳教育で育っていますからしょうがないですけどね。
私は、この教育方針が絶対ダメなんて思っていませんし、昔に比べると部活動の現場でも体罰などは無くなってきていると思います。
むしろ、日本の教育は大きな枠でみると、落ちこぼれを作りにくいシステムになっていると思います。
しかし、それは裏を返すと国にとって都合のいい教育を受けて、勤勉に働き、きちんと納税してもらえる人間を育成するだけのシステムになっているイメージも受けます。
あなたが大人になった今、毎日毎日まだ寝ていたいのに朝早くから起きて通勤し、一日の大半を仕事に費やし疲れた体で帰宅する。
その生活は、あなたが子供のころに描いていた人生そのものでしょうか?
「どうせみんな同じだから仕方ないし、もう諦めたよ」って思っているんじゃないですか?
人生はたった一度しかありません。
私は、「だれかに作り上げられた人生を送るのは楽しくない」「自分の人生を他人に決められたくない」と強烈に思い、自由に生きる道を選びました。
私の人生は私のものなので、あなたには関係ないかもしれません。
でも、あなたと私は同じ人間です。
あなたもきっと幼いころから思い描いていた人生があったはずです。
そして、きっとあなたは私よりはるかに優秀です。
しかし、サラリーマン教育を受け社会に揉まれるうちに、残念ながらあなたは自分で幼いころの自分を殺してしまいました。
でも、あなたが殺したつもりの希望溢れる小さな自分は、実はまだ息をしているんです。
あなたの心の奥深いところから「まだやれるよ」ってあなたに訴えているんです。
今、もしあなたが幼い自分に再開したなら、「君の未来はこうなっているよ」と胸を張って今の生活を語れますか?
あなたの人生はあなたが主役です。
この記事を読んで、「こんなはずではなかった」「本当の自分を取り戻したい」と思ったなら、小さなことからでも一歩ずつ歩み始めてみませんか?
誰にも左右されず、国や会社にも依存しない『自分が主役の人生』は、幼いころのあなたが思っていたとおり意外と悪いものではないですから。
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